ミライ

人生気楽に生きましょう

母の四十九日が終わりほっと一息、そしてこれからの墓問題

先日母の四十九日法要が無事終わった。

亡くなってからは日々やることに追われ、母が亡くなったことをあまり実感できずにいた。

私は別に熱心な仏教徒でもなく、いわゆる無宗教に属するタイプの人間だが、こうした節目の行事は故人に思いを馳せる場として大事だなと本当の意味で理解した。

 

ただ、法要の度にお布施などで数万から数十万というお金がかかるのは正直苦しい。 

自分の未来もまだあるし、お墓の管理をずっとできる保証もない。

墓じまいも検討しているが、これもまた離檀料や新たな納骨先での費用など色々と出費がかかり八方塞がりだ。

自分たちにとって何がベストかを時間をかけてゆっくり考えていくことにする。

 

法要だって別に昔からの慣習だからといって強制するものではないし、やらなくたってバチ当たりとは決して思わない。

先祖も大切だが、生きているのは私たちだ。

生かされた者がどうしたいのかが重要だと思う。

 

時代が変われば人々の考えも変化する。

本来私たちを救う坊主が苦しめてどうする。

お寺さんも柔軟な対応をしてほしいものだ。

 

 

お母さん、無事にあの世に行けましたか?

お母さんとお別れをしてもう49日もたったのかと正直驚いています。

まだまだやることはありますが、あなたのように笑って元気に生きていきます!

せば!

 

 

 

20代独身女がついにマッチングアプリで婚活してみた【婚活を始めようと思ったきっかけ編】

25歳になり学生時代の友人も婚約したり、出産したりと結婚や子育てについての話題が多くなった。

まだ自分には先の話だと思っていたが、いよいよ現実的な年齢になったのだと友人らを見てより実感させられた。

ただ、私は元々結婚願望はなく子供も特に必要ないと考えていたので焦りや戸惑いは正直そんなになかった。

 

こんな私が婚活しようと思ったのは両親を亡くしたことが大きなきっかけである。

今まで当たり前にいた存在がいなくなりとても寂しくなったからだ。

もちろん独身は誰にも縛られず自由に自分の世界で生きられるが、私は家族の繋がりや温かさに触れたいと思った。

まさか私が結婚を意識するようになるとは自分でも驚きである。

 

今は昔と違い、結婚はメリットよりもデメリットのほうが増えた気がする。

共働きが主流になりフルタイムで働きながら、家事や子育ても両立しなくてはならない。

働き方改革で女性の社会進出やキャリアアップも一般的になってきたが、まだまだ日本は男性社会な面が強い。

結婚や出産を機に環境や勤務形態の変化は女性が強いられることも多い。

だからといって男性を非難したいわけでなく、ここまで複雑化し過ぎた社会が問題であろう。

また昨今は物価上昇により誰もが自分1人生きていくだけでも精一杯で、結婚や出産は益々遠くなっていく。

損得だけで見たらきっと私も結婚するという選択肢はないだろう。

将来どうなるかわからないが、今このタイミングで婚活してみようと思った自分の感情に一旦素直になってみることにした。

 

婚活というと結婚相談所のイメージが強いが、まずは手軽に始められるマッチングアプリを利用することにした。

今後の利用状況によっては結婚相談所や別の方法を模索しようと思うが、数か月は頑張ってみることにした。

 

今後進捗情報を逐一アップしていくので興味があったら覗きにきてくだされ。

 

実家を乗っ取ろうとする女

私には兄が2人いる。

両親が亡くなり、今は兄弟3人で実家に住んでいる。

兄弟仲は悪くはないが良くもない。

一緒に暮らすこと自体はそんなに苦ではないが、ここに来て第3者の出現で日々の生活がストレスフルになった。

第3者とは2番目の兄の彼女だ。

別に勝手に仲良くしていただく分には何も問題はないが、最近実家に入り浸るようになった。

親がいなくなったことで兄も遠慮がなくなったのかもしれないが、彼女も相当図太い神経だと思う。

なぜこんなに毛嫌いするのかというと、母の葬儀前日の夜中に我が家に突然押しかけ、次の日葬儀があることを知りながら謝りもせず勝手に家に上がり込んできたからだ。

理由も兄と少し揉めたからとのこと。

まだ若いなら百歩譲って許せるが、私より10歳程上の30代半ばでいい歳した大人が何やってんだよと呆れた。

 

兄は昔から女を見る目がない。

本人の問題もあると思うが、以前婚姻関係にあった元奥さんも色々と癖が強かった。

警察沙汰になったこともあり、両親も私も散々な思いをしてきた。

だからもうこれ以上彼とその周辺の人間達に振り回される人生はごめんだ。

 

まだ相続が終わっていないので、離れたくてもそれができない。

毎日落ち着かない家で暮らすのは本当にしんどい。

猫もいるので安易に引越しもできない。

早く安らぐ環境で生活がしたい。

逃げられるなら逃げたい。

関わらなくていいなら一生関わりたくない。

助けてほしいけど誰もいない。

辛いけどもう少しだけ踏ん張るしかない。

兄弟も所詮は他人。

良好な関係を維持するならお互いに思いやり尊重することが大切だと思う。

 

 

 

お洒落書店はもはや本屋と呼ぶのか

先日、都内のとあるお洒落書店に何年かぶりに立ち寄ってみた。

数年前に行ったときも世の中にこんなコンセプトの本屋さんがあるんだなと驚いたが、書籍の種類も豊富で楽しかった思い出がある。

ただ、今回行った時は店内がリニューアルされており、書籍エリアよりもラウンジエリアが増え本屋さんというよりカフェに近い印象を受けた。

休日だったこともあるかもしれないが店内は人でごった返し、本をゆっくり見ることもできなかった。

置いてある本も雑誌や洋書が多く、私が求めているものは無かった。

普通の書店ではあまり扱っていない本は目新しいし、お洒落な本はインテリアにもなる。

好きな人には刺さるのかなと思うが、私にとってはここは本屋さんとは呼べない。

 

時代は益々デジタル化し、電子書籍が普及して直接本を手に取る機会も少なくなった。

近年は本が売れなくなり、新たな形の本屋さんが誕生するのも致し方ないと思う。

でも昔からある街の本屋さんが閉店していく姿は寂しく感じる。

今は時の流れが早く常に変化し続ける世の中だが、変わらず残していくことも価値があると考える。

お気に入りの本屋さんにもっと行ってたくさん本を買うことにする。

改めて私は本が好きだなと思った日でした。

 

心のストレスと体の不調

母が亡くなってからよく体調を崩すようになった。

 

人が亡くなると悲しむ間も無くやることが多く、毎日何かしらの対応に追われている。

今後は相続というさらに頭を悩ませる一大イベントも待っている。

 

ただ何でも頑張りすぎては元も子もないので、意識して週2日は自分に優しくする日を設けている。

生活習慣もできる限り規則正しくし、昔は夜型だった人間が今や朝型になったのは自分でも驚きである。

 

昔から胃腸が弱いのでお腹を壊すことは今でも時々あるが、風邪症状は年に一度あるかないか程度だ。

そんな私が最近短期スパンで風邪を引き、やっと元気になってきたと思った矢先、腹痛と吐き気に襲われ救急車を呼ぶ羽目になった。

幸い大したことなく自宅にて療養中だが、もう体調不良には懲り懲りだ。

 

世の中には様々なライブイベントがあり、その中で諸説あるが「親の死」はストレス値が高いことがわかっている。

父が亡くなった時はまだ母も元気だったので悲しみはあったが2人で支え合いながら乗り越えることができた。

ただ、母の死は自分が想像していた以上に辛いものだった。

どれだけ母という存在に助けられてきたのかを亡くなってからより強く感じさせられた。

 

母の死から少しずつ涙を流すことも減ってきたが、自分が自覚してないだけで私の身体は日々疲弊しきっているのだと今回倒れて思った。

改めて心と体は繋がっているだなと。

 

あまり深く考えすぎてもどうしようもないので、自分の体が私に疲れてだよって教えてくれたんだなと思うことにした。

 

また具合悪くなったらまたここで報告します。

 

 

大切な人を愛せなくなった

近年、メディアを通して介護疲れなどで親やパートナーを殺めてしまう人をよく見聞きする。

両親が元気な頃はなんで大切な人を殺せるんだろうと本気で思っていたが、自分が介護をする側になった時ほんの少しだけ気持ちがわかった気がした。

どんなに大切な人でもある時自分を壊していく存在になり得るのだ。

介護は私たちの体力、精神力、そして平常心をいとも簡単に奪っていく。

自分1人でやろうと思えばできなくはないが必ず限界は来る。

だから病院や施設、訪問介護等状況に応じて利用していく道を早めに検討した方がいい。

我が家の場合は父は足が不自由だったので訪問リハビリ、母は本人の希望で病院の緩和ケアとそれぞれ違った。

訪問リハビリと緩和ケアについてはまたどこかで詳しく話すが、両親も私も利用して良かったと心から思う。

私にとっては自分の時間を作ることができたのが1番大きい。

何にも縛られず自由なひと時は心身をリフレッシュさせてくれる。

 

いつ人は介護が必要になるかわからない。

親やパートナーが元気なうちにぜひ話し合ってほしい。

恥ずかしいことでもタブー内容でも決してない。

生きていく上で大切なことである。

 

人は1人では生きていけない。

誰かを支え、また誰かに支えてもらう。

そうしてお互いに助け合うことが本来の私たちの在り方だと思う。

 

介護には辛いことの方が多い。

ただ、あなたは決して孤独ではない。

近隣の相談窓口でも友人でもはたまたネットでもいいから助けを求めること。

苦しかったら助けてと叫べ。

誰かがきっと応援してくれる、守ってくれるから。

 

全ての頑張っている人へ

今日もお疲れ様!

あんたは本当にすごいよ!

よく頑張ってる!

そうやって自分を褒めてあげてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セラピーキャット 抑鬱状態の私を救ってくれた猫

ここ数年で両親が亡くなった。

覚悟はしていたが、ここまでメンタルブレイクするとは思ってもいなかった。

そんな時我が家の猫にとても救われた。

猫は犬とは違い人懐っこくないと言われるが、うちの猫も案の定超気分屋だ。

なので泣いている私に寄り添ってくれたみたいな感動的な話ではないが、そこに存在してるだけで気持ちが少し楽になったのだ。

 

よく病院や施設などでアニマルセラピーとして動物が人間を癒す活動が行われている。

人間みたいに直接言葉を掛けてくれるわけではないが、私達同様心の温かさはある。

辛い時、楽しい時、色々な感情を読み取りそっと見守ってくれる。

言葉が無くても通じ合えるのは不思議だ。

 

セラピーはアニマルセラピー意外にもアロマやアートなど色々ある。

私は何に癒されるんだろう、どんな時幸せや安心を感じるのだろうと少し思い返してみて自分に合ったリラックス方法を見つけるといい。

自分の心が疲弊したとき、何か救われるものがあるとないとでは違う。

私の場合は猫だった。

本当に猫には一生頭が上がらないですね笑

ただ、うちの猫も中年になってきて後何年一緒に過ごせるかわからないので自分の心の健康を維持向上できる方法を模索しようと思う。

今はベッドスパに絶賛ハマり中。

 

心が壊れてしまう前に自分を守れる術を身につけましょう!

癒しはきっとあなたを救ってくれるはず。